マラソンの当事者研究

令和(2019年5月)から本格的にマラソンを始めた30代男による練習・レース記録および考察・内省の記録です。

Prelude 私がマラソンに目覚めるまで②

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とあるマラソンからの挑戦状

2017年1月に高槻シティハーフマラソンを走ってから,5ヶ月ほど走らない日々が続いていたのですが,6月の中旬にある応募していたマラソン大会から1通のメールが届きます。

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大阪マラソン2017当選!

大阪マラソンからの挑戦状でした*1。思わず興奮気味にFacebookに投稿したことを思い出し,当時のポストを見たのですが,当時は本当に嬉しかったんだな...。

今回は初めてのフルマラソン大阪マラソン2017の随想録です。

練習開始(?)→(!)

当選した!ということで,練習を開始!と思わせておいて,練習はしていません(このパターンにそろそろ慣れていただければと存じます)。というのも仕事が忙しすぎて,全然練習する時間が取れなかったのでした*2。ですが前回の①でも書いたように,夏場は比較的仕事が少ないので,ここで時間を取るように心がけました。

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夏場に集中して走り込み(?)しました

その結果,90kmを走り込むことができました。(もっと走ってると思ったんですけどね)

夏が終わると,また仕事が忙しくなり...走れ(ら)ない時期が増えていきます。

9月...26km  10月...27km (まさかのほぼ同じ距離)

当時の練習を振り返るの,面白いですね

大阪マラソン2017は11/26開催でしたので,流石にこれはマズい!!ということで,走り込んでみました。

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ど...どうしてこうなった

なぜか大会が近づくにつれて距離が増えているという件について。これを見ればお分かりのように,当時の私は完全に独学で適当に走っていたため,調整法として徐々に距離を減らしていくテーパリングという言葉は一切知りません。とりあえず,走り込まないとマラソンは走れないということで,がむしゃらに走っていました。大会1週間前に30kmを走るというこの計画性のなさなのですが,30km走ることができれば,マラソンは大丈夫だよということを同僚から聞いていたので,「とりあえずこれで大丈夫!」(当時の記録)だと思い,この30km走の後,直で本番を迎えることになりました。「いつまでに」というのは練習の上で大事なのだと後から気づきます。

大会当日

あまりマラソン当日のことは記憶に残っていないのですが,初めてのフルマラソン,何もわからないまま参加したため,

  • 会場のあまりの広さに戸惑いました
  • トイレを見つけてもなかなかたどり着けないことに戸惑いました
  • 荷物置き場からスタート地点が思いの外遠くて戸惑いましたなどなど

フルマラソンの大会ってハーフマラソンと全然違う...とこの時初めて学習しました。

...とまぁ訳のわからないままスタート地点に立ち,なんか会場が盛り上がってる!というテンションが上がっている状態でレースはスタートしました。目標はサブ4(唐突に出てきた目標なのですが,とりあえずマラソンと言えばサブ4でしょくらいのノリでした)。

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当時どれくらいのラップで押していったか全く覚えていないのですが,20kmまでは相当飛ばしているみたいで,ハーフマラソンと同じようなラップで刻んでいました。キロ5分ほどで押している区間もありました。これも,ハーフマラソンの時の熱量とは全然違う...声援,また物凄い数のランナーさんと一緒に走っていること...これが自分が自分でない感覚を生んでいました。ペースを抑えるということは一切考えられませんでした。

とは言え,30km走をレースの1週間前に行っている筆者に易々とフルマラソンはクリアさせてくれません。25kmすぎたところの給水ポイントで試練が。

ランナーの割り込みでした。

急に割り込んできて,そこで脚を取られこけてしまいます。特に問題ないと思って走っていたのですが,30km地点手前で痛みが強くなり完全にスローダウン。足首痛い,太腿が上がらない,脹脛が自分のものとは思えないくらい動かない,そういった状態になり,ついに歩いてしまいます。今思えば,こけてなくても,恐らくどこかで歩いていたでしょうが,この時は悔しさと激しい怒りの感情を抱きながら,なんとか走っていたように記憶しています。そんな状態を(記録上)2,3km続けていたようですが,それも無理になり,ランニングではなく,ウォーキングが始まります。これが「30kmの壁か」と思いながら。

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コース変更により今はなき南港大橋の激坂。これを見たときの絶望感と言ったら...

最後の方は,何で走っているんだろう(歩いているんだろう)と思ってはいましたが,沿道の声援がやはり後押しとなって,何とかやるぞ!という気持ちにさせてくれました。正直その辺りのことは覚えていません。ですが,筆者はYukiというニックネームでゼッケンをつけていたので,「Yuki頑張れ!」(もちろん声援で)「Yuki 止まるな しばくぞ!」などと喝を入れられながらゴールに向かっていたことは覚えています(笑)。そして何とかサブ4.5完走をすることができました(正式にはネットで4:27'台)。

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何とか完走

走っている途中は,もうマラソンなんか出るか!と思っていたのですが,ゴールが近づくにつれ,月並みながら,マラソンってこんなに達成感があるんだという気持ちに変わっていきました。そして気がつけば,次のマラソン大会にエントリーしていました。ちなみに割り込みをされたことによる転倒で,後から足首を捻挫していたことが判明し,しばらくランオフになります。

 

ゴールする前のあの達成感をもう一度味わいたくて。今度こそは止まらずに走るぞと思いながら... 5ヶ月後にあるマラソンに向かって練習を始める...と思いきや

 

まだ練習をしないのでした...。

(マラソンに目覚めるまであと1年5ヶ月)

*1:ちなみに'17京都 はダメで,大阪当選後は...'18京都→'18神戸→'18大阪→'19京都→'19おかやま→’19神戸→'19大阪→'20東京と抽選8連敗を喫します

*2:当時,月の残業時間が100時間を超えることもありましたが,それ自体にあまりネガティブな感情は持っていません。楽しくやりがいのある職場でした